創業80年を機に名古屋へ本社移転。社長の「覚悟」が会社を変革させていく。

三協紙業株式会社 代表取締役社長
佐方將義氏

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「紙管王国」大阪から名古屋へ。

Q.80年という長い歴史を大阪で重ねられて、なぜ名古屋への本社移転を決断されたのでしょうか?

弊社は1939年大阪で創業し、私で4代目になります。私は創業者の孫で唯一の直系なので、いずれは継ぐとわかっていたんですが、まだ社長を継いでないときに現場や管理部門、更には紙管業界のあるべき姿を明けても暮れても考える時期があったんです。取り巻く環境は将来どう変わってゆくのだろうか?過去の慣習のままでいいのか?と。そして入社して5年ぐらいしてからは、企業にとって本社って何だろう?本社は大阪でなきゃイケない理由があるのか?という疑問をずっと抱いていました。

多くの方には馴染みがないかと思いますが、私たちがいる紙管業界のメインストリームは大阪です。トップ企業のほとんどの本社が大阪。まさに大阪は紙管王国と言えるでしょう。この中で様々な競争と連携がなされてきました。でも、その環境を踏まえても、自分たちが大阪にいるべきと確信が持てませんでした。

そのひとつは弊社の8拠点の位置です。工場が茨城と滋賀にはそれぞれ2箇所、その他に宮城・埼玉・静岡・愛知にも工場があって1番西端に大阪本社がありました。バランスがまずおかしいですよね。地図だけ見れば中心は東京に置くべきでしょう。でも、実際に取引しているお客様の数をみると東海地区に多かったし、名古屋は関東にも関西にも交通の便がいい。それに今や東京や大阪でなければ情報が集まらないという時代でもないでしょう。そう考えたら名古屋移転は非常に合理的な判断に思えてきたのです。蛇足ですが、社長のご自宅が近いとか、創業の地だからとか、ビジネスにはナンセンスですよね(笑)。だから私自身も従業員と同じように単身赴任での転勤を決断しました。
さらに言えば、本社の県外移転というドラスティックな意思決定ができ、実行力のある会社であることを社内外にも示して、歴史ある業界ならではの旧態依然とした風土を改革するトリガーを作りたい、という思いもありました。

Q.実際に本社を名古屋に移転して、どのような変化がありましたか?

まず商売上の変化としては、お客さまの工場が近くなったので直接ニーズを聞きやすくなりました。大阪が“商いのメッカ”なら名古屋は“ものづくりのメッカ”です。そして紙管は製造業には欠かせないBtoB資材。さらに我々の強みである多品種小ロットでの生産体制や提案営業は、物理的にお客さまの近くにいることでこれまで以上に強みを持ったと感じています。

また本社移転に伴い、製造部門にも大きな変化が生まれました。積極的に未知の案件にチャレンジするようになったんですね。営業が難しい注文をとってきても、工場の職人がむさぼるように作っちゃう(笑)。たとえば、京都で数十年に一度ご開帳される絶対にたわんではいけない8メートル幅の巨大な「仏画の巻芯」や、肉厚日本一の62ミリ厚の内径3インチ長尺紙管、劇場などの天井に使える、難燃ではなく不燃の「燃えない紙の筒」のオーダーなんてのも実際に手掛けました。どれも難易度としては前代未聞ですし、商売としてはまだまだ課題が残ります。でも、世の中になかった新しい価値が生まれていますし、困難な依頼を受けて新技術に挑戦する職人気質な製造部門を非常に頼もしく感じます。

フィールドを変えたことで、業界に新しい風を吹かせる存在に。

Q.名古屋移転には様々なポジティブな影響があったのですね。それにしても老舗企業にいて「創業の地に居続けるべきか?」という問いは、普通は浮かばないと思います。以前からドラスティックな視点をお持ちだったんですか?

社内外ではよく「宇宙人」と呼ばれています(笑)。前職で担った設備設計や生産技術の世界では、知識量と発想でほぼ成否が決まります。会議室で居酒屋で毎日のように先輩から「普通じゃないか!馬鹿もん!もっとドラスティックに!」と叱られ続けて育った事も影響しているでしょう。そのお陰で、自分ではちゃんと論理立てて考えているつもりなのですが、受け取る人には突拍子もなく聞こえるのかもしれませんね。どうしても業界が保守的なので、僕のような変化に向かっていく人はもの珍しいのだと思います。

そもそも紙管業、もっと遡れば紙づくりは昔から国策として守られてきました。紙管業者は全国に200社以上あって、都道府県でないのは沖縄と長崎とあと数県。製造工場には欠かせませんから、工場の近くには必ず紙管屋さんがいるんですよ。田舎の郵便局みたいな感じでしょうか。安全地帯にいて、市場が伸びなくてもなんとかご飯を食べていける。そういうところで我慢だけ続けて過ごすのが、おそらく性に合わないんでしょうね。変わろうとする気配のない業界の空気を変えて、田舎の郵便局にも誇りを持っていい仕事が出来るようにしたい、という使命感があります。

Q.具体的にはどんなことを考えていますか?

個社でM&Aを重ねて企業規模で諸問題を解決するという教科書通りのシェア至上主義は、この業界には向いてないと思うんです。田舎の小さな郵便局を潰すか買収して合理化だけを追うより、個性を活かして逆にどう上手く活用して新しい価値を創造するか、つまりネットワークの時代に変わって来ているという考えが私の根底にあります。
よその業界では珍しくないビジネスモデルですが、紙管業界としてはまったく新しいモデルが紙管王国から少し離れたこの東海地域だからこそ再構築できるのです。まだ詳しくはお話できませんが、大小の紙管業者が駆けずり回って企業間で価格だけの競争をするよりも、現状のパイを共有し、皆で合理的に生産し同時にBCP体制をも築くことで、きっとお客様にも好影響を与えられるはずです。

関西では昔ながらの老舗企業同士でライバル争いをしながらやってきましたが、名古屋を中心とした東海圏では賛同してくれる仲間たちと一緒になって、新しい風を吹かせていきたいと思います。

本社移転は、自分たちで会社を創り直すきっかけに。

Q.業界への刺激を与える意味でも名古屋移転は価値があったのですね。一方で、社内的にはどのような意味合いがあるのでしょうか?

私としては、創業80周年をひとつの節目として、そこから第2創業期だという思いを抱いていたので、社長就任以来脇目も振らず風土改革一本に専念してきました。昨今の、大量生産から開発提案型への切り替えも、モノづくりへのマインドをセットし直さなければならないほどの大きな変容です。そういった取り組みがじわじわと反響を呼んでいるようで、若手経営者向けの講演を依頼されたり、取材を受けてメディアに取り上げられることもあり、社員たちの励みにもなっているようです。本社移転は、次なる第2幕への“のろし”とも言えますし、本社が進化すれば、必ず会社全体が進化すると考えています。ですから、俺たちが“創業メンバー”なんだという自覚を持ってくれている今の社員達が愛おしくて、抱きしめたい気持ちでいます。

Q.当初、社内で移転に反対する声はなかったのですか?

家庭の事情などで生活拠点を移すことが叶わずやむにやまれず数名退職された方はおられました。その方々には申し訳なかったと思っています。けれど、反対はありませんでした。今後の事業展開と、工場や取引先との位置関係を丁寧に説明しましたが、その結果、移転そのものに本当に協力的に全員が力を合わせてくれました

けれど実際に動くのは本社のメンバーなので、移転は相当慎重に臨みました。何年も掛けて予め計画的に転勤可能な人材へ置換しておくことは当然、銀行取引などの関係や移転後の社員の生活も、細部まで想定して全てを逆算で準備するために多くの時間を費やしました。

移転後も、たとえば住むところなんかも社員の好きなところを選んでもらいました。みんな住みやすい、通勤が楽になったと言ってくれます。大阪だと50分かかったのがこっちは10分とかね。食事は合う合わないがあるみたいですけどね(笑)。あと、やっぱり東京も大阪も近いのはいいですよね。単身赴任の人もすぐに帰れる。あと東京や各工場から近くなったので会社の旅費交通費は2割減りました。これは結構大きいですよ。

それと、「自分たちがどんな環境で仕事をしたいか?」を考えてもらって、オフィスデザインも家具の調達も移転の荷役手配も社員に任せきりました。閉鎖的ではなくオープンな会議室にするためにガラス張りにしたり、お客様が来た時に皆で迎えられるように奥まで見渡せるワンフロアで開いた造りにしたり、座席にフリーアドレス制を導入したり。大阪時代は大企業のまねごとをして内線で受付していたのが、ここでは顔が見えて気軽に挨拶も話もできる。雰囲気もコミュニケーションも格段に変わりました。ただ移転するだけでなく、これを機に新しい会社に生まれ変わっていこう、というメッセージを発し続けたから、それがメンバーの心を一つにしたと思います。職場環境を劇的にしかも一気に変えるには、「移転」は最良の策の一つであることをあらためて痛感しました。

10年後には「紙管と言えば名古屋」を目指す。

Q.結果的に本社移転が、第2創業期を盛り上げていく後押しになったんですね。

今は、みんなが創業メンバーになった気持ちで新しい会社を創るんだ、という空気に満ちています。もうひとつ嬉しかったのは、移転を記念して名古屋市の河村市長がオフィスにお越しくださったことです。会社のメンバーもとても喜んでいました。市長からのエールを受けて「俺たちの会社の挑戦が始まったんだ」と改めて胸に刻みましたよ。大都市名古屋のトップからの歓迎ですから、社長が演説するのとはわけが違います。市長の顔に泥を塗らないよう、絶対にやるぞ! という気持ちで会社が一丸になっていると感じます。

Q.名古屋で実現したいことを教えてください

昔から、「紙といえば静岡や四国」と言われていますが、私たちがこの名古屋で取り組んでいく新しいビジネスモデルや開発提案を通して、「巻芯と言えば名古屋」と呼ばれるようになりたいですね。そのためには、周辺の取引先の皆さんとの協働が必須。競争するだけでなく、ともに同じ目標を抱いて実現させていきたいですね。10年後には、名古屋を発信源に紙管業界を変えていきますよ。たかが紙管、されど紙管。歴史のあるモノづくりをしてきた自分たちの“らしさ”を大事にしながら、東海地区のモノづくり企業にとっても、私たちの存在がインパクトあるものになることを見せていきたいですね。