ドローンは社会実装フェーズへ。自動車・航空宇宙産業の集積地、名古屋を'新・モノづくりの聖地'に。
株式会社プロドローン 代表取締役社長
戸谷 俊介氏
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- ドローンは社会実装フェーズへ。自動車・航空宇宙産業の集積地、名古屋を'新・モノづくりの聖地'に。
名古屋の工房で、高付加価値の産業用ドローンを開発
Q.御社の事業内容をお聞かせください。
産業用ドローンの製造販売をしています。これまではさまざまな分野のドローンを製造していましたが、2021年からは点検・防災・物流の3分野に特化して事業展開をしています。
現在開発しているシングルローター機(※1)は耐衝撃性、粉塵耐性、耐風性、耐候性などを高め、ミルスペック(※2)を満たす性能を目指しています。風速30m/秒の海上でも安定して2時間のフライトが可能です。また最大ペイロード(※3)30kgの大型マルチローター機も進化を続けており、シングルローター機と同様に、過酷な条件でのフライトが可能です。
- 回転翼(ローター)の数が‘1つ’のドローン。一般的にヘリコプターと呼称される。燃費が良く、ローターブレードの傾きの微細な調整で姿勢を制御するため、安定したフライトを行える。
- 米国国防総省が規定する技術的な要件。その標準のうち、耐環境性能について規定したものがMIL-STD-810。
- 搭載可能な容量や重量を指す。
その開発現場を支える重要な存在が、世界屈指のトップパイロットたち。彼らが機体を極限で状況テストし即座にフィードバックしながら、システム、ソフトウェア、ハードウェア各分野のエンジニアと連携して改善を重ねることで、強靭な機体に作り上げています。エンジニアとパイロットが一体となり、机上開発ではできない高品質、高信頼な機体を生み出す開発体制がプロドローンの核心的な価値だと自負しています。
Q.戸谷社長がこれまでの前職キャリアから一転、プロドローンに参画した経緯をお聞かせください。
モットーは「人生アドリブ」。常に勝負しながら面白い方へとこれまで歩んできました。新卒で名古屋鉄道に入社しました。入社後すぐ名鉄エージェンシーへ出向、2007年に会社が合併して電通名鉄コミュニケーションズ(DMC)となり、名鉄エージェンシーからDMCまでずっと広告畑でした。汐留の電通本社にも在籍し、2017年にはDMCで東京支社長を務めるなど通算30年ほど東京で過ごしたのですが、その間ずっとモータースポーツを担当していました。ある時「次は空かな」と思い立ち、レースを空で開催しようと思ったのです。
これまで車が進化してきたのは、レースで競うことでより安全に、より速く、かつブレーキ等の性能を向上させてきたから。トヨタの豊田章男社長も「レースは車を鍛え上げる場」と言っていますし、空の世界もきっとそうなるだろう、皆で競い合って鍛え上げる場をつくろう、ということでドローンのレースを企画しました。開催まで2年かかりましたが、そのキーパーソンとなったのが、プロドローンの副社長、菅木(すがき)です。
レース企画にあたり、パリにあった国際航空連盟に連絡をしたところ「日本にはムッシュ・スガキがいるから」と紹介されたのが彼との出会いです。のちに彼からプロドローン社長として誘われ、2021年3月31日の株主総会の承認を経て私はここに来ました。
社会実証のフェーズから社会実装へ。空の産業革命が始まっている。
Q.本社所在地を東京・千代田区から名古屋・栄、さらに天白区へ。その理由をお聞かせください。
首相官邸にドローンが落ちたことがきっかけで都内での飛行が非常に難しくなったこと、創業者が名古屋在住であること、豊田市が藤岡ヘリポート使用の融通を利かせてくれたこと、また協力メーカーが名古屋に多かったことなど複合的な要因が重なり、名古屋・栄に移転しました。商業ビルに入居して事業展開を進めたのですが、実験のたびに機材の搬入搬出が大変ということもあり、藤岡ヘリポートへのアクセスの良い天白区で優良物件が見つかり再移転しました。
ドローンはまだ産業になってないPoC(概念実証)段階ですが、2022年度には「レベル4」といって「有人地帯における目視外飛行」が可能になります。都市部でもドローンで荷物を運ぶことができるようになるんです。ただし、それを満たす機体でないといけない。認めてもらえる機体になるために国交省に足繁く通って指導を仰いできました。また、経産省にプレゼンして補助金の申請をしたり、国立研究開発法人NEDOや内閣府主導の戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)の予算獲得に動くなど、創業当初は官公庁との連携や情報共有のため、霞が関や永田町に近いところに本社を置く必要がありました。
Q.名古屋に移転したのは、次のステップへ進むため?
そうですね、モノづくりの地として愛知県は「アジアNo.1航空宇宙産業クラスター形成特区」ですので、人材も含めてこのあたりが一番だなと考えていました。実際弊社には小牧の航空機メーカーやSJ(旧MRJ)に関わってきた非常に優秀な人材がいます。例えばマニュアルを作る専門家や航空法に長けた人材とかね。ほかにも宇宙ベンチャー、衛星システムに携わっていたエンジニアや職人もいます。さすが‘モノづくり名古屋’というか、エンジニア系から手先が器用な職人まで揃うのは日本で名古屋くらいだと思います。ハードウェアベンチャーとしては、モノづくりにおいて協業先となる部品メーカーが多いのも魅力です。
またドローン業界に欠かせない「航空機技術審査センター」という日本で唯一の機関も県営名古屋空港にあります。これだけ環境が揃っているんだから、ドローンをはじめとするエアモビリティの社会実装においては、愛知・名古屋を中心地として、日本を引っ張っていきたいと思っています。生活面においても、家賃は東京より格段に安く、市内は地下鉄や市バスといった公共交通が充実、東西へのアクセス良好な高速ICなど道路網も整備されていて移動も大変便利です。名古屋に移転して、社員からも「名古屋は暮らしやすい」と喜んでもらっています。
未来に向けたアイデアと、最新テクノロジーの両輪で。
遊びの精神を大切に。
Q.ひとつひとつオリジナルでドローンを作っているのでしょうか?
基本的にはそうなんですが、2022年からはいわゆる量産体制へと移行していきます。我々はいわゆる「ファブレス企業」として、工場ラインを持たないメーカーになっていこうと。生産技術、品質保証を担い、組み立てについては外でやっていこうと計画しています。
Q.産学連携も積極的にされていますね。
いま名古屋市内の大学発ベンチャーと構想中なのが、グランドビークル(陸路走行)→ウォータービークル(水上走行)→エアビークル(飛行)と次々にトランスフォームするドローンです。この地域は、昔から木曽川でヒノキを材木場に運び、モノづくりが栄えたという背景がある。SDGs的な考えで、ドローンを活用して木曽三川の流域経済圏を蘇らせてみたいな、という想いが起点になっています。川下りは川の流れを原動力にした筏、つまりCo2排出ゼロ移動できます。最終目的地へは地上に上がってレベル4の自動運転で行けばいい。空を飛んだ方が効率的なところは飛ぼう、それ以外で無理に飛ぶことないじゃんって。面白いでしょ?木曽福島から長島スパーランドにドローンで遊びに行っちゃおうよ、と妄想チックに話したところそれいいね、研究してみようよ」と検討が始まりました。
「次世代モノづくりの聖地・名古屋」を世界標準にしたい
Q. 名古屋には東京より濃厚なコミュニティーがある?
私は生まれも育ちも大曽根ですが、東京に30年いたので、こちらに戻ってきて名古屋の面白さに改めて気づいたんです。地元のコミュニティーの結束力が強かったり、良い意味でおせっかい。「あんた家どこ?」「しゅんちゃん、昨日クルマなかったけど何処行っとったん?」とかね。ほとんど東京では聞かれなかったことが、名古屋では会う人ごとに聞いてくる(笑)。コミュニティーが濃厚っていうかね。ローカルなコミュニティからイノベーティブなものが生まれてくる、というワクワク感があります。
Q. 戸谷社長はバランス感覚がいいですよね。女性リーダーが増えるといいな、とも言われていますがその理由は?
前の職場では女性の登用が進んでいまして、私もDMC東京支社長在任時は、マネジメントを平等に、と女性部長を増やすなど仕組みから変えてきた経験があります。そこはプロドローンでも積極的にやっていきたいと思っています。そのためには活躍するチャンスをつくること。機会をつくることによってマインドセットも変わってくる。同時に弊社では男性の育休取得も重要で、戻るポジションを‘絶対に’保証するなど、デメリットのない育休がとれる仕組みづくりも合わせて行っています。
Q.これから挑戦したいことをお聞かせください。
弊社のビジョン「地域から一番信頼されるドローンカンパニーになる」を具現化していきます。名古屋に工房を構え、地域社会に貢献しつつ、プロドローンでしかできない機体を世界へと送りだす。モノづくりの聖地として、名古屋が例えばシリコンバレーや最近ではテキサスのオースティンのように、次世代テック企業の集積地になったらカッコいいじゃないですか。「Made in Nagoya」ブランドとして世界標準になりたいと思っています。またすべての事業においてSDGsを意識することも心がけています。製品、地域との関係、社内においてもSDGsに積極的に取り組み、エシカルな経営をしていきます。
メーカーとして目指すのは「空のスタンダード」。つまり空を道路と同じように使えるようになる近未来に向けて、名古屋から世界へと羽ばたいていきます。