思い切った設備投資で独自の加工技術を開拓。

株式会社伊昭
代表取締役社長
竹内 愛子氏

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中小企業の幅広いニーズに応える。

Q.御社の沿革と事業内容をお聞かせください。

1959年に先代の伊藤昭作が名古屋市熱田区で創業しました。先代は溶接を得意とする職人で、高い技術力を背景に、業容を拡大してきました。現在、ステンレス・鉄・銅・アルミといった各種金属を素材に、切断・曲げ・溶接・組立といった製品加工のほとんどを自社内で行っています。

Q.竹内社長が2代目経営者に就任された経緯をお聞かせください。

私は1971年に経理のアルバイトとして当社に入社しました。入社当時、経理や資材調達の担当者が退社した状況でした。私は見積を作成するために机にJISハンドブックを積み上げて見よう見まねで勉強をし、設計図面の読み取りや見積の作成をするようになりました。人員も限られていたため、4トントラックを運転して配送もしました。こうした経験を積み重ねた結果、職人気質だった先代から、経理や営業、仕入れまで経営全般を任されるようになり、1992年に代表取締役社長に就任しました。

Q.御社の特長をお聞かせください。

当エリアにおいて金属加工を業務とする企業は、大手メーカーの第1次下請け、第2次下請けを担うところが多いと考えます。当社も1980年代までは取引先は大手企業に固定されていました。しかし、毎年2~3%の原価低減を求められることに我慢ができなくなり、安定している反面採算の取れない大手企業から一品注文を受ける中小企業に取引先をシフトさせていきました。中小企業からの受注を獲得するためには他社にはできない加工が必要でした。そこで長さ6メートル物の曲げ加工ができる大型プレスブレーキを1986年に導入しました。こうした大型加工機は大手企業ならば自社で設備投資をしますが、中小企業では導入は難しい。そこを当社で担うことで商機を見出そうと考えました。これにより受注額は少ないながらも取引先は少しずつ増加していきました。現在、毎月の取引件数は60件~80件に上っています。

Q.名古屋という地域の優位性はどんなところでしょうか。

名古屋市熱田区で創業しましたが、業容拡大に伴い手狭になったために1968年に現在の港区十一屋に本社工場を移転しています。その後、事業拡張に対応するため、1979年に弥富工場を、2000年に神宮寺工場を、2019年に善進工場を稼働させ、こうありたいと思うことには積極的に先行投資をしてきました。しかし、工場が分散することにより、加工途中品の移動や社員の仕事量に問題が生じました。これを解決するために、一時は弥冨工場への移転集約を検討しましたが、私自身は名古屋を離れることに抵抗がありました。名古屋は日本の中心にあって高速道路へのアクセスにも優れ、本社工場は資材の調達や物流の点でも好条件がそろっています。当社は関東や関西の企業とも多く取引をさせていただいており、北海道の企業から受注があった際は名古屋港から船で製品を納入したこともありました。加えてトヨタ自動車に代表されるモノづくりの環境整備が進んでいることは、技術や人材の点でも大きな恩恵を受けていると思います。そうしたメリットを考えると本社工場の近隣での新工場建設は長年の悲願とも言えました。

Q.2022年に第2工場を新設された経緯をお聞かせください。

たまたま本社工場に隣接した土地が売りに出ているという情報を得て、幸いにも入手することができました。新しく建設した第2工場には分散していた組立工場を集約し、本社機能も移転させました。材料や完成品の保管スペースが拡張できたことにより、受注集中や納期調整への対応も容易になったほか、人員や工具も集約できました。第2工場および本社の建設に当たっては、市役所から「名古屋市フラグシップ企業強化促進補助金」を活用できたことも大きな助けになりました。

Q.2012年にベトナムに現地法人を設立され、社長自ら精力的に行動されたとお聞きしています。設立の経緯や事業展開の状況をお聞かせください。

当社では以前からベトナムからの研修生を受け入れており、その働きぶりの良さに魅力を感じていました。実際にベトナムを訪れてみると国としての活力を感じることができました。ちょうど私自身も還暦を迎え、会社としても大きな債務の返済に目途がつき始めていて、次に向けて大きな挑戦をしたいと考えていた時期でもありました。いろいろ考えましたが、ベトナムで金属加工工場を建設し、現地法人を立ち上げることにいたしました。2012年にベトナム南部のビンズオン省に本社と同様の加工工場を建設しました。工場完成後は月に一度1週間程度ベトナムに通い、製造環境の整備や材料仕入れ先の確保を行いました。東アジアでの新規市場開拓を目指し、現地にて受注・生産・販売を展開しています。当初は現地企業からの受注を目指していましたが、本社工場と同じ設備を備えていることから、最近は日本で受注した仕事をベトナムで加工し、本社工場で検品して納品することも増えてきています。ベトナムの工場は、創業時のメンバーの半分が現在も残っており、定着率が高いことにもやりがいを感じています。

Q.人手不足や物価高など経営環境を取り巻くさまざまな課題がありますが、経営者として今後どのように取り組まれていくのか、お聞かせください。

企業規模が小さいため新規採用は難しい一面があります。そのため今いる人員を有効活用していく必要があります。生産現場における省人化・自動化はできていると考えています。バーコードを早くから導入したことで、生産管理の効率化も進んでいると思います。現在考えているのは、見積作成の自動化です。弊社は単品受注を基本にしているため、同じ製品でも材料費や利益率は取引先ごとに変えています。そのため、現在は私が見積を作成しています。これをあらかじめデータを入力しておくことで自動的に見積が作成できる仕組みを構築したいと考えています。

Q.最後に2代目、3代目経営者にアドバイスをいただけませんでしょうか。

2代目、3代目経営者は、どうしても守りに入りがちです。それぞれに楽しさややりがいのある目標を見つけて、それを実現するための努力を惜しまなければ必ず企業の未来は拓けると信じています。